好き嫌いがはっきりしているということ

■絶対絶対、好きな事しかしない主義。
子供のころは、嫌いなものが多かった。

勉強、習い事、家で遊ぶこと、にんじん、etcetc…これ、子供なら普通の事だと思う。
ちなみに僕はごくごく普通の子供であったけれど、みんなより、嫌いなものを嫌いと通しきる意思が、特に強固だった。
おかげでその根性というか精神はいまだ何も変わっていない。
しかしその良し悪しは別の話しとして、だからこそ言えることがあるんです。

好きなことは、常に外で遊ぶこと!
それも、探検ごっこみたいなもの。
荒地、防空壕、海、川、山etcetc…、
好奇心のアンテナの振るままあちこち出かけ、夢中で遊んだ。
これって、アウトドア遊びの始まりやね。
足の裏に大きなクギがささったり、足の指の間に小枝がささったり、それは痛い目にもたくさん遭った。

海、川、池へ魚採り。
なかでも面白いのはだんぜん川遊び!
石で取ったり、自転車の発電機でうなぎを捕ったりの、楽しい毎日でした。

憂鬱な問題は、帰って宿題をすること。
どうしてもする気になれない。
気が向かないからしないなんて理屈は無いですが、楽しくないとわかっていることを、どうしたって出来ない。
困ったものです。
まあ、一回怒られたらそれで済むだろう・・・でした。

このようにして僕はひたすらに自然の木々や海や川と触れあい、生き物と触れあい、存分に子供時代のアウトドア遊びを心底エンジョイしていた少年でした。

大きくなるにつれ、これらの多くの体験の積み重ねで、さまざまな知恵が身についていきました。
体験から学ぶ知恵は、書物から得られる知恵とまた違う種類のものです。
僕はこれを基盤に、さらに遊びに生かしていく事になるんです。

さて、こんな風に小さな頃から子供ながらの小さなポリシーの貫きながら大人になった僕は、もはや嫌な事はどんな事があっても出来ない体質になりました。
成人になり自分で仕事をするようになってからも、ますますこのパーソナルに磨きがかかり、還暦になる今もやはりその精神は全く変わっていません。

むろん、そればかりでは社会生活の中では生きてはゆけないのですが、好き嫌いが明確であることは、自分の夢や才能への最も最短距離になるんじゃないかな、と思うのです。
今どきの若い人たちに、まず教えてあげたい事です。

これは本当に、深いテーマです。また続きは今度。

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