「勉強」について思う2つのこと

会長メッセージarchives/wrote 20250520 #15

「勉強」——この言葉が私は昔から嫌いでした。
子供の頃、大人たちは「勉強は良いこと、遊びは悪いこと」と言っていた。
そうして、その言葉に強い息苦しさを感じ「勉強」が嫌いになっていきました。 だって、遊びの方が大切だとその当時から強く思っていたからですね。 強制的に学ばされる(嫌な)勉強と、自分から楽しんで向かう楽しい勉強と。 「勉強しなさい」と机に向かう時間は「やらされ感」いっぱい、 私の中で「勉強=嫌なこと」がどんどん刷り込まれていきました。
ところが、大人になって、改めてこの言葉と向き合ってみると、 「勉強」には、二つの意味があるとわかりました。 以前にも書きましたが、小学校や中学校で教わる学びを今振り返ると、 それは確かに意味のある大切な時間だったと気づくことになりました。
国語ではコミュニケーションの基礎、 算数ではあの手この手で考える思考力、 体育ではスポーツの基礎、 音楽では人の喜び感動を学びました。 特に大事な科目は家庭科、 現代人はこの地球上で最も弱い生き物。 素足で走れない、素手で掴めない、何でもそのまま食べられない。 どれも人が生きる上での「基本の力」を築く、大切な義務教育だと思います。
少年の私は「勉強」という言葉の意味をわからず、 ただ窮屈さばかりを感じていましたが、 少し大人になると、自ら進んで勉強することが出てくるようになるのです。 色んなことに好奇心が湧いて、納得するまで調べ、専門書も読む。 好奇心から夢が生まれ、夢から目的が生まれ、行動へとつなっていく。 自分をどんどん強くしていく、こういう積み重ねが、私は本当の勉強と思うのです。 勉強って本来、楽しいんです。
今、世の中に溢れる学校の勉強は、少し違うと思う。 中には、本当にしたいことを目指す子も居るだろう。 でも、多くの子どもたちや大人も、自分にとって有利に生きれるための職場を目指す教育を是しとする。 だから、小学校、中学、高校とその道につながる大学への受験勉強に明け暮れる。 でも、人として大事な子ども時代や青春時代でしか出来ないたくさんの貴重な体験、 取り戻せない貴重な時間と引き換えになっているように思うのです。 本当の「勉強」の意味と、その選び方よって得られるものや失うものの大きさや意味を、 強く伝えたいなあと、いつも思うのです。

 

#jib
#jibbag
#mrjib
#yacht
#sailcloth
#ミスタージブ
#ジブかばん
#軽い

関連記事