会長メッセージarchives/wrote 202401020 #8
1995年、阪神淡路大震災。今まで築いてきた多くのものが、一瞬にしてなくなりました。
西宮、甲子園に本拠を置くJIB、阪神高速が倒壊し、そこから神戸方面へ広がる景色の悪夢は、阪神間にお住まいの皆さんなら説明不要でしょう。そんな中、我々JIBが入っているテナントビルは、外壁に少しばかりヒビが入り、奇跡的にガラスが割れた程度の被害状況で済みました。当時、まだ少人数であったスタッフ全員の安否確認を行い、わりあい早い時期から皆で集まって、何かしらの仕事を始めていました。とは言え、商品(かばん)は多少作れる状況でしたが、肝心の販売店は最も被害の大きかった神戸方面に集中していたため、売り上げも立たずなんともお手上げ状態でした。スタッフの中には家族を亡くした人もいました。とにかく日本中が混沌としていてとても大変な状況でした。
ちょうどその前年に、ヨットを係留していた西宮の小さなマリーナのクラブハウスを借りて「DOGHOUSE(=ヨットのキャビンのこと)」という名前で、週末だけのライブ・バーを作っていました。地震によって、マリーナを含む西宮の臨海地区や建物に大きな被害を受けて、そこはもう営業できない状況になっていました。私たちはこの状況にどう立ち向かうかを考え、当面、カバンの仕事ができないなら、お客さんや仲間たちが集まれる場所をつくり、みんなの無事を確認しあうことを考えました。そうだ、どこよりも早くDOGHOUSEに灯りを灯し、ここから元気を発信しよう、と。マリーナのお店で無事だった楽器や什器を船で回収し、甲子園に移設しました。そうして、寄せ集めの材料や状況で、震災から一月も経たないうちにお店をオープンさせました。経済的にも精神的にも、色んな辛い状況をやり過ごすための時間や場所が必要でした。
ほどなく、次なるステップとして、JIBの再建に取り掛かりました。そこで、今まで経験したことを振り返り、今の自分やJIBに合う会社運営とは何か?を考えていたとき、ある会社、人物の存在を知り、JIBの今後のビジョンが開けたのです。それが、世界のHONDAの本田宗一郎と、その名参謀と言われた藤沢武夫の関係です。JIBの在り方について、この会社とこの二人のイメージがぴったりじゃないか、と。世界のホンダを実現するため、彼が行ったことは名参謀を自分の傍らに置いておくこと。そんなイメージで、せっちゃんは経営の勉強を初め、私はクリエイティブな活動に徹して、色んな商品を生み出すことに専念しました。
なぜホンダ?
震災の数ヶ月前、たまたま観たホンダの感動的なストーリーのドラマに感銘を受け、偉大な日本人に見習おうと、彼の息のかかった最後の車であるNSXを購入したのです。乗ってわかったこと。それは、世界No. 1のスポーツカーであり、本田宗一郎と藤沢武夫は世界No. 1のチームであるということ。そうして、何があろうと貫く!という強い信念の元、JIBは再スタートを切りました。(つづく)
NSX今も現役
#jib
#jibbag
#mrjib
#yacht
#sailcloth
#ミスタージブ
#ジブかばん
#軽い